肺がんで入院していた男性患者
その方は40歳代と年齢も若く、息子さんもまだ小学生でした。
化学療法を受けていましたが、徐々にがんは進行し末期で治療が困難になりました。
がんの進行により呼吸不全が進み、息苦しさはかなりの苦痛を伴いました。
しかしどんなに苦しがっていても、ご家族がくると患者さんの表情は一気に明るくなり、いつも楽しそうにご家族と病室で過ごされていました。
一時帰宅
終末期ということで緩和治療がメインとなり、家族との時間を過ごしたいとのことで一時自宅を希望されました。
状態は芳しくなかったですが、なんとか外泊許可がおりました。
あと数日で外泊予定日という時、患者さんの病態が急変してしまいました。
リザーバーマスク酸素10Lでもかろうじて呼吸ができている状態でした。
看護師スタッフは誰もが外泊は無理だろうと考えていました。
しかし本人の強い希望から、なにかあったらすぐに救急車で病院へ戻るという条件のもと、医師から外泊許可が改めて出ました。
私は正直、この状態で外泊をすることは命を縮めるだけだと、外泊することには反対でした。
顔面蒼白で冷や汗をかき肩で呼吸している患者さんを見送った時、きっと数時間で帰ってくるだろう、と思いました。
しかし翌朝までなんの連絡もなく、無事に家族と過ごせているのだと、とても驚きました。
2日目の昼に緊急連絡が入り、患者さんは救急車で運ばれてきました。
意識は朦朧としていて、酸素投与量に対して、呼吸の状態は誰が見てもかなり厳しい状況でした。
病院に到着してから数時間で、患者さんは旅立たれました。
ハンバーグの思い出
息子さんはベッドサイドで泣きながら
「お父さん、死んじゃったの…?
昨日ね、家でお父さんと、僕が大好きなハンバーグを一緒に作ったの。
お父さんはあんまり食べられなかったけど、嬉しそうにニコニコしてた。
ぼく、お父さんとハンバーグ作れてすごく嬉しかった。」
と言いました。
最期の思い出が作れてよかったと思ったことはもちろん、あの呼吸状態で外泊していたにもかかわらず料理をして穏やかにご家族と過ごせたことに奇跡を感じました。
きっと患者さんは父として息子さんに自分の苦しむ姿を見せたくなかったし、患者さん自身も心の底から家族との時間を楽しんでいたんだと思いました。
わたしは「こんな状態で外泊なんてさせるべきではない」と考えていた自分が恥ずかしくなりました。
家族との愛は、どんな鎮痛薬や精神薬よりも患者さんの苦痛緩和になるのだとわかりました。
その人がどんなことが好きで、どんなことを大切にしていて、どんな最期を迎えたいと考えているか。
とことん話を聞いて答えを出すことが重要なのだと学び、私にとって大切な思い出になりました。
コメント